『私のオーストリア旅行』
第34話 " 山と湖の国 オーストリア "
琵琶湖のほとりに住む私は、日ごろから、あまり山や湖に不自由していないので、オーストリア対しては大変失礼なのですが、美しい景色に対する期待はさほどありませんでした。
ところが行って見てびっくり。雪に覆われた山頂も、控えめに短い草を貼り付けたような山麓も、切り立った山から突然澄んだ水をたたえる湖も、全て桁違い。そして、混じりけの無い冷えた空気が一層その鮮やかさを際立たせています。
山間のわずかな平地には、人々の営みの象徴のように教会の塔が、村を引き締めて、ひときわ高くそびえ、山や湖の歴史に対して較べるべくもない短い時間ではあっても、昔から変ることなく、時を告げる鐘の音があたりの空気を震わせて穏やかに聞こえてきます。
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一昔前、山国のスイスでは、わずかなやせた耕地と、牧畜では人は十分に飢えをしのぐ事はできず、しかも殆ど産業らしきものありませんでした。それはスイスと境を接する、オーストリアやドイツの山間部も同じだったかもしれません。よそから見れば素晴らしい景色も、住人にとっては当たり前のはずなのに、生きるために、その商品価値に気付くしかなかったのかもしれませんが、豊かな景観を資源にして、人工のものが見苦しくなく配置され、あるいは隠され、洗練されたやり方で、美しさが維持されている事は、賞賛に値します。
お陰で今、我々はその美しさを堪能することが出来ます。もし他に有力な産業があれば美しい景色は美しいままで、ごくわずかの人々の楽しみの対象でしかなかったかもしれないのに。
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ここオーバーエステライッヒ州には、その山々の間にちりばめられた真珠のような湖が数多く点在する事は先に述べました。湖の事をドイツ語ではsee〔ゼー〕といいます。同様に海もsee〔ゼー〕です。ドイツ語の単語には性があり、湖は der see 即ち男性名詞、海はdie see 即ち女性名詞です。単語の性に関しては、なぜそうなのかいつも不思議に思います。発音は標準ドイツ語ではsee〔ゼー〕と濁りますが、オーストリアでは〔セー〕とやや澄んで聞こえます。
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我々がやって来た Traun see トラウン湖に突き出した桟橋には、あたかも計算し尽くしたように無駄無く、優雅にヨットがつながれています。飾りすぎることなく配置され、うじゃうじゃと多すぎるヨットが船同士風で揺れてぶつかっているなどという風景も見られません。
この村の村長さんが、招待昼食会後、自分のヨットで湖のセーリングに誘ってくれたのです。アルプスの山国オーストリアで、まさかヨットに乗れるなど想像もしない事です。琵琶湖でもヨットには乗れるから、ここはひとつ遠慮して・・・なんてことはしません。私は真っ先に乗りたい人のグループに手を上げ、早速第一陣に乗り込みます。爽やかな風を切ってヨットは湖上を走ります。周りの景色も、陸から見るのとはまた違う趣で、教会や家が小さく可愛くおもちゃのように見えます。乾燥しがちなヨーロッパにおいては、このような体験は、水辺に育った私には、特に嬉しくて快適な出来事です。風の調子が良かったのか悪かったのか、時間不足で、次の航海はなくなり、私はまんまと素晴らしいセーリングを楽しむことが出来たのでした。
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ヨーロッパから見て、日本と中国と韓国の区別がつかないように、いちげんさんの我々にとっても、スイス、オーストリア、南ドイツの区別は容易ではありません。見慣れてくると、若干の違いは見分けられるようになりますが、我々を惹き付けるその中心的なものは、ほぼ同じといって良いでしょう。その中に生きる人間は、国籍が違っても、西洋でも東洋でもやはり同じなのですが、保存という事に関して違いがあります。
東洋に照りつける太陽と多量の雨は、草木を養い、植物の根の成長でやがて石造りの寺院すら破壊してしまいます。なおかつ日本は地震国。「形あるものはやがて壊れる」とする東洋の思想になれた我々にとって、ちょっとしつこいんじゃないと思うほどに、彼等は、景観や、建物の保存、再生に熱意を傾けます。アメリカ思想の大量生産、大量消費を建前に、流行を追い求め、メディアに流されていたその頃、それが豊かさだと信じていたその頃、ヨーロッパの「物を大切にする、長く変らない」思想は、私にちょっとした衝撃を与えました。日本の消費文化がもしや行き過ぎているのではないか、豊かさとは物質的なものだけではかれるのかと。我々が現在享受している文化の原点はこの文化であり、それが今日まで変ることなく脈々と受け継がれている事に、大きな驚きと尊敬の気持ちを感じないわけにはいきませんでした。
開発が保存に負けてしまうことはなく、上手に共存させる技術を持つオーストリア。アルトミュンスターも例外ではありません。ただでさえ息を呑むように大変美しい風景が、さらに磨き上げられて、道端のベンチでさえ「さあ見てください」と自信ありげに見えます。
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今や、明るくカジュアルな雰囲気のあるこのリゾートの村で、年配の婦人が我々のために、伝統的なロングドレスの民族衣装を身に着け披露してくれました。
考えてみれば、どこの世界にも、晴れの日があり、その日に着る晴れ着はあるはずなのに、それまで私は民族衣装といえば、チロリアンダンスをおどるあの見慣れた衣装だけを想像していました。模様入りのシルクでしっとりとした深い色合いの民族衣装は、手作りで相当高価なもののようです。金色の小さな帽子ともども、それぞれの村に固有なものが伝わっているそうです。日本では、ひとつの村の全員が同じ格好をしている等と言う事は、考えられません。この違いはどういうところにあるのか、一度尋ねてみたいと思っていることのひとつです。
余談ですが、「あかずきんちゃん」の頭巾とはフードではなく帽子で、この物語の背景になったドイツのある地方の民族衣装では、金色ではなく赤色だったからです。
無駄なく、綺麗、クリーンなこの村ではあっても、この古風ないでたちが、不思議と調和するのは、人々の営みが変わりなく続けられている事を物語り、これからもずーっと人々の手で、これらの伝統が守り継がれていくことであろう、そして同時にこの見事な景観も大切に保存されていく事であろうと、セーリングで美しい湖と山の真っ只中に身をおいて、その素晴らしさを満喫した私は、旅するものの傲慢さも忘れて、そっと満足の笑みを浮かべたのでした。
【お詫び】
ただいま、スキャナー不調につき画像の作成が出来ません。出来次第掲載いたします。しばらくお待ちください。