『私のオーストリア旅行』

 

第33話            "  アルトミュンスター  "  

―――――老人ホーム訪問―――――

  

大都会ウィーンから、再び自然が主役のオーバーエステライッヒ州に入ります。州西部から隣のザルツブルク州へと広がる美しいザルツカンマーグート地方には、雪を頂く山々とその間に、水溜りのように湖が数多く点在します。全視野に展開されるこの景色は今も昔も多くの人々を魅了し続け、かつては、オーストリアのハイソサエティの人々や音楽家の保養地として、競って別荘が作られたそうです。そんな湖のひとつトラウン湖のほとりのえくぼのように可愛い小さな村アルトミュンスターに到着しました。

ドイツ語でAlt〔アルト〕は古い、Muenster〔ミュンスター〕は、大寺院、司教聖堂ですから、昔この地に大きな教会の大聖堂があったのかもしれません。大変古いと説明された、朽ちかけた、石積みのずんぐりした塔は確かにありましたが…。

我々はその土地の青少年との交流なんてことを、大胆不敵にも、片言の英語でやってしまいます。ここでは、青年との交流だけでなく老人ホームの慰問すらやってのけました。ご馳走になり、ヨットにまで乗せてもらった優しい村長さんの、頼みとあっては、断るわけにはいきません。「まかしとけ。」とドーンと胸をたたいたのが、誰だったかはわかりませんが、湖畔の緑の広々とした敷地に、整然と立つ、近代的なホームを訪れました。

今は日本全国に、高級老人ホームがいくつもあり、大津にも、やはり湖畔で、四季折々の琵琶湖の美しさを楽しめる、冷暖房完備の大変立派なものがあります。ハイデルベルグのお城を思わせる外装が、大津の風景にしっくり溶け込んでいるかどうかは別にして、いろいろな点で、よく行き届いた施設です。私は日本で、老人ホームを訪れた事はありませんでしたが、印象としては、この地のものとは違いました。

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ペンション風の建物は、あたりの景色と全く違和感がありません。エントランスから個室、集会室など、オーストリアあるいはドイツ、スイスではどこでも当たり前ですが、全てこざっぱりとしてきれいに掃除が行き届いています。

「こざっぱりとした、清潔な」というドイツ語は sauber〔ザウバー〕、Ordnung〔オルトヌング〕は「整理」、in Orudnug とは(全てが)整理されて整った状態にあることで、以前に述べました、 オーストリア人の一番大切な心情 Gemuetrichkeit〔ゲミュートリッヒカイト〕 「心地よいこと」を感じるためにも、これらは大変重要なことなのです。ですからこのために人々は、本当に大変な時間をさいて、掃除し続けます。

ごく平均的な一室を見る機会がありました。我々が、芸をするのに、同じことなら伝統的民族衣装にしようと、更衣室に借り受けたのです。ここは、公営のホームですから、高級ではないと思われますが、二人部屋で、ゆったりとした部屋には、簡素なベッドと、机その他に必要なものが、うまく配置されています。ユースホステルがかなり高級化した感じで、最近できた普通の家の内装と比べ、何ら遜色はありません。

友人にユースの写真を撮ってきて欲しいと頼まれていたので、あまり興味のなかったユースにも目が向いたのですが、ヨーロッパの人々は古いものを再生して使うのが上手です。いくつも見学したユースや夏休みで空の学生寮は、外から見るとかなり古い普通の家で、中は近代的だったり、学校のようなシンプルな建物だったりとそれぞれが特色を持っていました。素晴らしかったのは、どこも必ず緑に囲まれていて、大変リラックスできる環境づくりがされている事でした。

学生のときに利用した日本のユースは、簡素ではあっても、オーストリアのユースに較べると、どこと無く薄汚れて、sauber〔ザウバー〕では無く、独特の匂いのおまけもあったように思います。(最近は知りませんが…)オーストリアの場合、日本人にはちょっと強すぎないかな思われる石けんの香料や、お料理に使うハーブの匂いが主です。

日本の年寄りは「もったいない」の権化のようになって、思い出の切れ端として様々なものを残しがちです。私もそうなるような気がするのですが、その点もアルトミュンスターの老人ホームは実にこざっぱりとしていました。後年、韓国の日本婦人の老人ホームを訪問したときは、やはり思い出が詰まった部屋のように見えました。

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集会室で我々は例によって、全レパートリーを惜しげもなくご披露します。「さくらさくら」と「春」を歌い、「炭鉱節」と「ソーラン節」を踊ります。老人達も、見よう見まねで踊の輪に参加しました。この時を是が非でも一緒に楽しもうという気持ちを素直に行動にあらわしてくれるのはここでも同じです。ドイツ語で練習していた「野ばら」もこの頃には、何とかついて歌えるようになっており、皆で歌いました。一緒に歌う事、踊る事が語リ合う事以上に速やかに、心の垣根を取り払う事も、大きな発見の一つでした。

小さな村の平和な老人ホームでは、遠い東洋の異国からきた日本人とじかに交流した事は、前代未聞の "事件" だったかもしれません。

若者の中には、老人に優しくするのが「気恥ずかしい」ために、「そういうことをするのはダサい」という態度をとる人もいれば、老人との接触の経験が乏しい故に、何だか分からなくて「イヤダ」と思う人もいるようです。幾重にも伝わる、老人達の「うれしい」という波動は、ちょっとめんどくさいなと思っていた私達を「やって良かった」と嬉しくさせました。

何か大人たちの思惑といったものが、そこには隠れていたかもしれませんが、私達が引き揚げるときに、ベランダからいつまでも手を振るたくさんの老女の目に涙が光っていたのを見て、さらに大きくなった同じ思いがもう一度、我々に襲いかかりました。

個人主義の発達したヨーロッパでもあるいはヨーロッパだから、人は暖かい心の通い合いを、強く、大切に思っているのかもしれない。老人が本当に待っている人は、私達ではなく、もっと深い "えにし" のある人たちであろうにと、私は、感動と同時に言いようの無い寂しさにも見舞われていました。

軽い気持ちでした事が、こんなにも感動を呼んだ事に、重い戸惑いを感じつつ、今自分達が吸い込んでいる、澄みきった空気に同化したような気持ちになれたのは、我々が若かったからだと思いますし、そういう時代だったのだと思います。

 

この不況のさ中、年功序列も消えつつあり、自分らしくとか自分が生き生きと、とかいう一見美しいキャッチフレーズに隠れて、かすかに通い合っていた人を敬う気持ちや人のために行うという感情が、ひどく見えにくい昨今、この老人ホーム訪問体験は、「今は昔」という思いをひときわ強くさせる出来事の一つとなりました。

 

つづく

【お詫び】
ただいま、スキャナー不調につき画像の作成が出来ません。出来次第掲載いたします。しばらくお待ちください。

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02.02.09 20:15:08