『私のオーストリア旅行』
第31話 " JAPAN イブニング "
答礼晩餐会というものをご存知だと思います。我々も、ウィーンの皆さんに厚いおもてなしを受けた御礼に、日本文化の一端に触れていただこうと「JAPAN イブニング」 というものをにぎにぎしく開催しました。
この企画は、日本で合宿の際、みんなで考えた「JAPAN ナイト」から、時間の都合で、「JAPAN イブニング」と名前を変えましたが、内容は変りません。団員は、オーストリアは初めて、海外旅行も初めての人が殆どです。何が出来るか。何が日本らしいのかなど、手探りで知恵を寄せ合いました。さまざまな日本文化をたくさん紹介したいのですが、全てを網羅するわけにはいきません。団員の中に、日本舞踊、空手、尺八や三味線などの特技を持つ人がいなかったのは、残念でしたが、こんなものを披露しだしたら、とても数時間で済むものではありません。良かったというべきでしょう。我々には、必殺技の、「さくら さくら」と「炭鉱節」があります。日本文化の別の一面として、デジタルの時計や計算機などもボツボツ評価され始めていましたが、人はこのような時には、やはり伝統的な日本文化を思うもののようです。
周到に準備しているつもりでも、日本に居るときは、ウィーンがどんなところで、また、会場はどんなところなのか誰も知りません。
若いということを言い換えれば、それは、そんな不安や恐れを補って余りある傍若無人な勇気。あるいは、立ちはだかった問題に対して立ち向かうファイトの源となる、好奇心と、困難をも楽しもうとする心そのものです。しかも30人が束になってやるのですから、今までの旅行中も思わぬ効果が既にいくつも生まれていました。
それぞれ、自分の得意とする分野の、用意が始まりました。扇子や団扇、折り紙、紙風船、剣玉、あやとり、筆と和紙。大きなお鍋で、お素麺も用意されています。
その頃は、丁度、国鉄(JR)は「ディスカバージャパン」のキャンペーン真っ最中。国鉄の職員がしわにならないように大事に持ってきた、日本各地の大きなポスターをたくさん、部屋に張り巡らします。会場となった場所は、広い学生ホールのようなごくシンプルなというか殺風景な部屋だったので、このポスターは、日本情緒をかもし出すには、非常に効果的でした。皆が臨機応変に工夫して、お客様をお迎えするためのしつらえをします。男の人たちが、片方に椅子や机を寄せて、ホストファミリーの席と、真ん中にスペースを作ります。そこには、どこから調達されたのか、小ぶりの絨毯が敷かれ、お茶会のための準備も整いました。
浴衣に着替えてお出迎えです。昨日知り合ったばかりなのに、今日の再会がとても嬉しいのが不思議です。
オープニングからお開きまで、通訳の早川さんが一つ一つ説明するので、もったいぶった、厳かな雰囲気も出てきますが時間もかかります。お茶のお点前が始まりました。外人さんは、儀式を見ているように神妙な顔つきです。
私もお茶のお稽古をしていたので、そのグループの一員として、お菓子やお抹茶、お茶碗、茶せんなどを、日本であらかじめ用意していました。
和菓子は、味も重量も軽くて申し分の無い、京都の『御池せんべい』を選びました。中にはかなりの重量となる『とらや』の羊羹を持っていったツワモノもいて、これは、「ん、まあまあこれは食べられる。」とあずきの甘さに慣れない様子の彼等に対して、むしろ日本人に大いに喜ばれていました。お抹茶は、二度お茶碗を繰って、表を避けて飲むんだ、と言う辺までは興味しんしんだったのに、一口含んだ後の彼等の表情はなんとも言いがたいものでした。我々は、外人さんにこの味がわかるなんて、全く期待していないから平気ですが、彼等としては、「おいしい」というべきだという気持ちがあります。その一言で、日本人も喜び、彼等の賞賛されるべき日本文化に対する深い造けいをも披露できると言うもの。しかし、「よくこんなもの、飲むねぇ。」と言いたい所をぐっと我慢。「変った味だ」と言ったか、「苦い」と言ったか。ともかくマナーとして、「ズズーッ」という音を立てないで、この奇妙な緑色の飲み物を全部飲み干すことが、その時、彼等に出来る努力の最大のものでした。
私の用意したお茶碗は、済んだ後はプレゼントにするつもりで、信楽までわざわざ買いに行ったものです。手渡すときに、「これは、見かけは、派手な美しさはないが、我々日本人はこのような美しさも、とても好んでいる。即ちわび、さびの心である」なんて事を言いたかったのですが、うまく伝わったかどうか。我々のホストは芸術家ですから、「ふん、ふん」と分かったようなそぶりを見せていましたが、私だって、若いその時に本当に「わび・さび」を理解出来ていたとも思えず、ただ受け売りの教科書的知識をひけらかしたに過ぎません。話す側も、受け取る側も、日本文化への理解度は丁度同じ程度で、かえってそれが功を奏したかもしれません。幸い、彼は前の年に日本へ旅行していましたので、言葉を尽くしても伝えられない心や雰囲気は身体で感じていて、大いに理解の助けになったと思われます。
色々な日本文化体験が楽しく賑やかに行われました。
私は、日舞よりバレエ、お琴よりピアノを練習する方が断然かっこいいと子供心に思っていましたが、外国人に「日本の楽器が何か演奏できるか」と尋ねられたとき、答えに窮する事になろうとは……。大げさな言い方をすれば、祖国への思いは外国に居て強く認識するものなのか、いつか暇が出来たら何かをと思いつつ、時が経っています。
ただ数時間一緒に過ごしただけで何がわかる。その通りです。あくまでも表面的な交流です。でもこれを経験するとしないでは、大きな差があると思います。誰とでも、どろどろした人間関係にもつれ込む必要があるでしょうか。
有名な観光地を日本語のできるガイドさんの持つ旗の後をついて歩き、日本語を話す店員の居る免税店に案内され、不自由なく買い物する。それだけでは、日本を旅行するのとなんら変りはありません。ちょっと冒険して、タクシーに乗ったとき、言葉が不自由なのをいいことに、お釣りをチップ代わりに、ふんだくられたりしたら、いい思い出は残りません。
実際に、文化の違いを肌で感じられるのも、ワザワザ、見知らぬ旅の若者に時間をさいてくれる、少なからぬ好意の上に成り立つ、安心感があってこそ。「国は違っても、自分達と同じ様に感じ、考える、ちょっとオメデタイ人間はいるもんだ。」と分かれば、戦争なんかしたくないと、普通なら誰だって思うはず。このように、より多くの日本人が海外に赴き、異国を知り、そして自国を知ると良いと今も強く思っています。
今我々は、日本的な西洋文化の中に居ると言っても過言ではないほどに、全てが変ってきています。その日、我々を通して、彼らの目に映った東洋の異国の文化とはどんなものだったのでしょうか。旅の中の最大のイベントである「JAPAN イブニング」を無事に終えて、高揚した中にもほっとした我々をエスコートの二人は、ホイリゲに連れ出してくれました。心地よい酔いに身を任せて、くつろいだ宵が更けていきました。