『私のオーストリア旅行』
第30話 " ホームビジット 4 "
――――― カルチャーショック―――――
不揃いのグラスたち
日本なら奥さんがお茶を持って現れるころ、オレンジジュースが運ばれました。壁際のキャビネットの扉を開け、好きなグラスを取れといいます。中にあるものは、全て飾り物なのだと思っていました。グラスのほかに、置物が一緒に入っています。ガラスのビンを握ると、体温で暖められた空気が対流を起こし、中に封じ込められた、銀色の四角な羽が、自然にクルクルと回転を始める置物や、やはりしばらく握っていると中の液体が突然ボコボコと沸騰するものなどいくつも。
近づいてよく見ると、グラスは不揃い。しかし、この屋の主人の感性によって一つ一つが選ばれているので、統一感があって、安物ではありません。ここでもセッティングの手を抜きながら、客に選ぶ楽しみを与える、心憎い演出。
それまで、私はお客様にはお揃いの器を出さなければ失礼だと思い込んでいました。このようなもてなし方がある事に驚かされました。不揃いのグラスがそれぞれを引き立て合い、あたかも、印象派の絵のごとく微妙な陰影を作ります。なぜ揃っていなければならないのでしょう。なぜ別々ではいけないのでしょう。この体験は私の"お揃いの哲学"に大きな揺さぶりをかけました。茶道を習っていて、型を重視し過ぎ、「もてなしかたのルール」にこだわって来た自分が、とても滑稽に見えました。
客人に楽しんでもらいたいと一心に思う「心」から出発すれば、おのずとそのやり方は、決まってきて、それが既成のルールに従っていなくても、決して失礼にはならないのだと、はっきり感じることが出来ました。
テレビ
リビングルームに当然あると思っていたテレビがありません。TV抜きの団欒なんて考えられません。本当は日本のように、いい番組がなかっただけかもしれないのですが「あんなもの見てたら馬鹿になる。」と言うではありませんか。「そりゃそうだけど・・・」と納得できない私でしたが、これも衝撃的な事でした。
オーストリア旅行中は、私達を楽しませようとする予定がぎっしりで、自然に、TVなしの生活を余儀なくされていました。日本に帰ったら、ゆっくりテレビが見られると楽しみにしての帰国でした。
ところが、その楽しみにしていた日本のTVの騒々しいこと。商品を手に微笑みかける少女達をはじめ、日本のテレビに頻繁に登場する人物は子供ばかりじゃないかと実際思えたのです。それ以来、私はTVが好きだから、殆どTVを見なくなりました。見なくなったから馬鹿でなくなったか…、これは難しい問題です。
グーテン アペティート !〔Guten Appetit 〕
お昼は、煮込まれて、あらかじめ人数分にカットされた肉の塊が、キャセロールに入ってテーブルに運ばれてきました。テーブルの上には、これはお揃いのお皿とナイフ、フォークが置かれていて、突然ホストがその肉をつけ分け始めました。もちろんここにはサーバントは居ません。私はそれは、奥さんの仕事だとばかり思っていました。
でも昔、野原を駆け回り獲物を調達してきたのは、主人であり、それを誰にどれだけ配るかを決める権利は、主人にあったと考えると、不自然で無くなります。
「あんなこと質問するから、お料理が冷めてしまったではないか。」とのそしりを免れるために、私は、器用につけ分けて行く彼の手を、ぼんやりと目で追いながら、この疑問と唾を同時に飲み込みんで、ひとり、こんな風に思っていました。それが礼儀正しいのか、どうか不明ですが、私達日本人は、食べ始めるきっかけとして「いただきます」と言います。いつでも使う、Bitte. 〔ビッテ〕 (=どうぞ) Danke.〔ダンケ〕 (=ありがとう) では落ち着きません。私は、それらしいことを何か言いたくて仕方ありません。合掌さえしたいくらい。
例の『旅行用六カ国会話辞典』の「いただきます」のドイツ語の欄に、
Guten Appetit 〔グーテンアペティート〕 (たんと召し上がれ!=良い、食欲)
と書いてあったので、むしろこれは、接待する側の言葉だったでしょうに、言ってしまいました。 案の定「あなたは、ドイツ語がしゃべれるのか?」 私は"No." と短く、無愛想に言いました。既に気持ちは、お肉に向かっていましたから。
今度は彼と一緒に…
質量ともに、ものすごいカルチャーショックが、私を襲っていました。
宿舎への帰り道、車を降りて、丘の上の広い庭に出てきました。すぐそばには、大きな東屋のような、ギリシャの神殿のような建物があります。前方は大きく視界が開けて、ずっと向こうの下方に、黄色っぽい色の建物が小さく見えます。ここがシェーンブルン宮殿だと説明がありました。右に大きく見えたものはグロリエッテでした。またもや意表をつかれました。宮殿の裏庭から入ったのです。私達は、正面からのアングルを見慣れているので、パッとは分からなかったわけです。この宮殿の名前Shoenbrunn (=美しい泉)は、ここに昔美しい泉があったからだという説明を聞きながら、ネプチューンの噴水を通り、きれいに手入れされた、幾何学的な緑のじゅうたんのような庭園を歩き、はるか遠くの宮殿についた時にはすでに遅く、中を見学する事は出来ませんでした。
「今度、オーストリアに来るときは、ご主人と一緒にいらっしゃい。」と彼等は言っていたので、それがとんでもない難題だと知る由もなく、「次に見ればいいわ。」と軽く思ったのですが、もうテレビでしか見られないかもしれないと思うと、そのときに見ておかなかったことが悔やまれてなりません。