『私のオーストリア旅行』

 

第22話            "  夜のウィーンの街で 2   "  

――カジノ宮殿 "トイレつき鏡の間" ――


狭い階段は曲がりくねって、少し広い踊り場のような所に来ました。石造りの家の中は小さな入り口に比べて意外に広い空間を持っています。銭湯の番台のような受付場所で、男性が二人私達の行く手をさえぎりました。と言っても、通せんぼではなく、本当に中に入る気があるのかどうかを確かめたかったようです。この時二人の顔に微かに浮かんだ困惑の色を私は見逃しませんでした。「ここは"ゲーセン"じゃない。旅の途中の軽装の子供を入れるわけにはいかない。」とでも言い出しそうな。

パスポートの提示が求められました。誰もそんな物持って来てやしない、折角ここまでやって来たのに門前払いかとガッカリした瞬間、一人の大学生が懐から紺地に金色の菊のマークも鮮やかな(その頃は赤色ではなかった)パスポートを「これが目に入らぬか」とばかりにおもむろに取り出しました。勿論我々はほっとして、逆に彼等はガッカリしたでしょうか。パスポートの彼はグループの中でもとびきり若く見えたので、我々が全員立派な?大人であることが証明できました。彼等にもう拒む理由が無くなったのか、我々はお客様としてあるいはカモとして丁重に扱われ、ぞろぞろと中に入っていきました。

 

緊張した日本人は何をさておいてもまず、トイレです。
このトイレに仰天しました。(女性用だけのリポートです。念のため。)真っ赤な分厚の絨毯が敷き詰められており、な、なんと天井にはシャンデリアが!! 一足一足歩む毎に、足が沈み込みます。その厚さは5pもあるかと・・・。そんなはずはありませんが、固い石の床に慣れた足には、久々の心地よさです。壁には、白と金のロココ様式のカーブのついた豪華きわまりない縁飾りのある大きな鏡がついています。勿論化粧用の小部屋もあります。カジノ宮殿 "トイレつき鏡の間" とでも名付ければ、そこがトイレであることを忘れてしまうような場所です。まるでお姫様のような私が写っていたことにしたいのですが、鏡に歪みはなく、正しく私が写っています。今夜はここで泊まろうかしら、と思うほどの快適さです。

みんなでおずおずと"賭博場"のドアを開きました。そう明るくないのが、ヨーロッパの夜の常ですが、先ほどの困惑が嘘でもないことが見え始めました。女性はロングドレス、男性は、タキシード。もしくはそれに準じたかなり正式な夜のいでたちです。ここは、紳士淑女の遊び場だったのです。
蝶ネクタイのお兄さんがルーレットを回し、はずれた人のチップをT字型の先の曲がった道具で巧みに引き寄せ、勝った人の前に配分しています。台は全部で3台です。

通してくれたのですから、我々に遊ぶ権利はあります。でも子供のような、貧乏くさい旅の若者が、チョロチョロその間に入り込んで勝負するのは、さすがにちょっと気が引けます。一攫千金を夢見て意気揚々としていた我々も次第に気後れして、某かのお金を払い、手に入れた1,000円くらいの丸いプラスチックチップ数枚をもてあそんでは、転がった白いボールが何番に止まる傾向があるか見定めるふりをして、しばらく座っていました。タキシード達の前には一枚2万円くらいの大きな長方形のチップが山と積まれています。一盛り20万円くらいだったでしょうか。それがいくつも。

誰かが「彼は、自分の思う番号にあのボールを止めることが出来るんだ。プロだからね。」と解ったようなことを言います。蝶ネクタイは我々が夜を徹してここで遊ぶことが、時間的にも、経済的にも困難なことを知っています。さっさとなけなしのお小遣いを吸い上げて、帰ってもらおうと思っているかも知れませんが、全くそのような素振りは見せません。静かにルーレットが廻りだし、小さな白いボールがコロコロと転がり、緊張がルーレットの台に漲(みなぎ)ります。

私が二度目にかけたとき、私のはずれたチップが無視されました。どのようなルールなのか、知りませんが、3回目で1,500円くらいのチップが私の手に入りました。これも物知りの仲間によれば、「彼の思いやりでもう一度遊ばせてくれて、勝たせてくれた」んだそうです。

勝った人も負けた人も、みんなニコニコ顔で、ウィーンのハイソサエティの香りを少し楽しんだことに満足しました。外に出ると、ウィーンの夜更けの空気はひんやりとして、上気してそぞろ歩く我々に心地よく感じられました。

 

今夜は、歓迎のパーティのいわば二次会に街に繰り出したようなものですから、そこそこ時間も遅くなっています。毎日のスケジュールがびっしりの我々は、そうゆっくりともしていられません。リンクまで戻って来ましたが、市電はそんなに都合良くは来ません。タクシーがずらり並んでいる所で、英語で何か言っても、ドライバーは首を横に振るばかり。こちらの語学力を棚に上げて、口々に「観光都市のウィーンの街の運転手なら英語ぐらいしゃべれよ。」とか「英語出来ないから、運転手してんじゃないか。」とか「さすがー、オーストリアはタクシーだってベンツだね。」とか言っています。我々は結局、いざというときの紙を見せ、ちょっと英語で付け足し、二台に別れて不安を感じながらも、 "あこがれのベンツ" のシートに深々と埋まりながら帰途につきました。

私の寝たユースの固いベッドと机と椅子


ユースホステルの固いベッドに横になり、カジノ宮殿 "トイレつき鏡の間" を思い出しながら興奮さめやらぬウィーンの第一夜が更けていきました。

 

つづく

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01/06/17